岡山|建築

岡山県倉敷市の建築(美観地区東編)

この記事では、岡山県倉敷市の中でも、美観地区の東側に建つ建築群を取り上げます。観光スポットとして人気のある倉敷アイビースクエアを含め、数多くの歴史的遺構をみることができる地域です。

 

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井上家住宅 

(設計)不明(竣工)江戸時代中期
(参考)https://www.city.kurashikiokayama.jp/5393.htm
(所在地)岡山県倉敷市本町1-40
 

竣工年は不明ですが、近年の保存修理の際に見つかった資料から1721年に上棟したことがわかり、倉敷美観地区内で最古の町屋であることが判明したようです。現在からみると約300年前の木造家屋ということになりますので驚きです。2002年には国の重要文化財に指定されました。
2階外壁に一定の間隔で並んだ格子窓が外観に落ち着きを感じさせますが、すぐ隣にみえる扉は防火のために取り付けられた漆喰仕上げの土戸とのことです。他の町屋ではみられない、貴重なものとのことでした。

 

旧第一合同銀行倉敷支店(旧中国銀行倉敷本町支店) 

 


(設計)薬師寺主計(竣工)1922年
(参考)https://www.city.kurashiki.okayama.jp/35159.htm
(所在地)岡山県倉敷市本町3-1

 

元々第一合同銀行の倉敷支店として建てられ、第一合同銀行と山陽銀行が合併して中国銀行が設立された後もその支店として使い続けられた建物です。現在は銀行としての役割を終え、大原美術館の別館として活用するための改修が行われている最中のようです。前回の記事で紹介した大原孫三郎氏はかつて中国銀行の頭取も務めており、この建物も大原美術館本館に先んじて薬師寺主計氏の手により設計されています。
建物外観は、大原美術館と同じく薬師寺氏が海外で学んだ西洋様式を感じさせる姿となっています。堂々とした風格を感じさせる大原美術館と比べると屋根に設けられた3連アーチや窓上のステンドグラスなど、やや柔らかい印象を感じます。一見すべてコンクリート造のようにも見えますが、屋根は木造で寄棟形状がかたちづくられており、当時としては珍しい構造だったのではないでしょうか。それもあってか、2018年には倉敷市指定の有形文化財となりました。

 

倉敷ユースホステル 

 
(設計)浦辺建築事務所(浦辺鎮太郎)(竣工)1965年
(参考)http://www.jyh.gr.jp/~kurashiki/
(所在地)岡山県倉敷市向山1537-1

 

向山公園のすぐ傍に建つユースホステルです。ユースホステルは比較的新しいビルディングタイプなのかと思っていましたが、日本では1950年代から70年代が開業のピークのようです。建物の設計は倉敷で数多くの建物を設計している浦辺鎮太郎が請け負っています。
前回の記事で倉敷国際ホテルを紹介しましたが、コンクリートの笠や一文字に並べられたタイルなど、同様の意匠が各所に見られます。倉敷国際ホテルの竣工からこの建物の竣工までが2年空いていることからも、先の建物をみてクライアントから何らかの要望があったのでしょうか。ただ、こちらの建物ではヴォールト屋根が2つ並んでおり、それが建物外観の特徴の一つになっています。

 

倉敷市民会館 

 
(設計)浦辺建築事務所(浦辺鎮太郎)(竣工)1972年
(参考)https://arsk.jp/shimin/
(所在地)倉敷市本町17-1

 

1,900席以上の座席数を有する多目的ホールです。多目的とはいえ、音響反射板やオーケストラピットなどの本格的な設備が充実しており、また残響時間もクラシック音楽に適した長さのホール施設となっています。1991年に岡山市に岡山シンフォニーホールができるまでは、県下最大規模のホールだったことから、倉敷市外からも多くの人が訪れていたようです。ここまでの規模となるとなかなか気軽に使えるものではありませんが、そのせいもあってか、後におよそ半分程度の座席数を有する倉敷芸文館が近くにつくられています。
設計は倉敷芸文館と同じく浦辺鎮太郎が設立した事務所が手がけており、同事務所の意匠設計の変遷を考える上でも格好の材料となっています。倉敷市民会館は何枚もの屋根が折り重なったような外観をしており、ホール施設によく見られる威圧感が弱められています。建物外観に並べられた縦長の窓からも土蔵にみられる明かり取り窓を想起させられ、美観地区の建物群が相当に意識されたことがわかります。

 

倉敷アイビースクエア 

 


(設計)浦辺建築事務所(浦辺鎮太郎)(改修)(完成)1974年
(参考)https://www.ivysquare.co.jp/
(所在地)岡山県倉敷市本町7-2

 

元々はクラボウの前身にあたる倉敷紡績所の工場として建てられた建物ですが、1974年にそれらの建物の姿を残しつつ改修、宿泊施設や商業施設を含む複合施設として生まれ変わりました。元々の建物は1889年に建てられ、1945年頃までは紡績工場として稼働していたようです。2007年には国の近代化産業遺産に、2017年には日本遺産に認定されました。
施設名の由来にもなっているように、建物は多くの部分でアイビーに覆われた外観となっています。それらの間からは当時の工場に多く用いられたイギリス積みのレンガ壁が顔を出し、各所で創建時の雰囲気を感じ取ることができます。空地も多くのびやかな場となっており、どこか大学施設のような大らかさを感じました。
宿泊できる歴史的遺産は全国を見渡してもそう多くはありませんので、その観点からも貴重な体験ができる施設なのではないでしょうか。

 

 

岡山県倉敷市の建築のうち、美観地区の東側に建つ建築群は以上です。美観地区内には貴重な建物が数多く位置していることから、二記事に渡って取り上げました。前回記事で取り上げた建築群とは倉敷川を挟んですぐ向かい側に位置していますので、両岸を行き来しながら各建物を訪問することで川に親しむ美観地区の生活をより身近に感じられるのではないでしょうか。
もしこの記事の情報や事実関係に誤り等ありましたら、お手数ですが問い合わせよりご一報頂けますと幸いです。