2022年の秋頃、山形県の米沢市を訪ねました。元々は山形市で開催中の山形ビエンナーレが主目的だったのが、東京から山形駅までの山形新幹線の停車駅に米沢駅があることを発見。雑誌で見かけたときから一度見に行きたいと考えていた図書館が近くにあることもわかり、この機会にと建築をみてまわってきました。
日本最初期の高等工業学校|旧米沢高等工業学校
昭和48年に国の重要文化財に指定された旧米沢高等工業学校。文部省建築課の設計による時代を感じる様式は、ルネサンス様式を基調としたものだそう。昭和24年の学制改革以降は山形大学工学部に改組。現在は建築の意匠はもちろん、かつて使われていたオーディオやカメラ、電子計算機等をみることができる展示施設になっていました。
印象に残ったのは、学校として使われていた頃の姿をみることができる教室群。教室の四面に設られた黒板や階段状の講義室の様子は、当時の学びの状況を窺い知れるものでした。日本で7番目の高等工業学校ということで、おそらく少数精鋭の学生がここに集まったであろうことが、全体的に空間がコンパクトにつくられていることからも想像されました。
旧米沢高等工業学校
[竣工]1910年
[設計]中島泉次郎(文部省建築課)
[用途]展示施設(学校)(重要文化財)
[所在地]山形県米沢市城南4丁目3-16
広場とつながる大階段と幾何学|山形大学工学部創立100周年記念会館
法隆寺宝物館や京都国立博物館、東山魁夷記念館など、谷口吉生さんと共に数多くの名作を残している高宮眞介さんの設計による数少ない単独名義の建築。山形大学工学部の100周年を記念して構想された施設ということで、プロポーザルで設計者が選定されたようですが、実は高宮さん自身も山形の出身だそう。
事前予約をしていなかったことから建物内の見学はできなかったものの、一定のモジュールに基づいて設計されたことが見てとれる外観。平面計画上は一辺8.5mの正方形が9個集まって大きな正方形を形成、中央のホールを囲むように各室が、さらに外側に大階段が配置されているよう。
ファサードの軒高も8.5mという、モジュールの徹底された建築。大きく張り出した庇を支える繊細なプロポーションの柱も、庇を厚くして柱をなくすという選択肢をあえてとらなかったのは、幾何学による構成を強調する意図があったものと想像されます。
山形大学工学部の100周辺を記念する建物ということである種のシンボル性が求められたはずですが、この繊細な柱があることで、シンプルな建物に印象的な外観と空間が生まれているように感じました。
山形大学工学部創立100周年記念会館
[竣工]2008年
[設計]高宮眞介/計画・設計工房
[用途]学校(大学)
4本の壁柱が支える図書の連なり|市立米沢図書館・よねざわ市民ギャラリー
BCS賞を始めとする数多くの賞を受賞している建築で、2階以上が図書館、1階が市民ギャラリーという複合用途の公共施設。杉板型枠との対比が印象的な外壁の木材には、地元米沢産の杉材が活用されているそう。
建物の大部分を占める図書館は、4層吹抜の大空間を中心に据えた空間構成。空間を特徴づけている4本の壁柱で井桁状に組まれた鉄骨屋根や積雪荷重を支持しつつ、外周部にプレストレスのかけられた鉄筋コンクリートの壁柱を配置することで耐震要素としているよう。
閲覧室の吹抜のまわりに多くの窓が設けられていることに加え、全体的に明るい色彩計画がとられていることで、自然光に包まれるような居心地のよさを感じました。空間の気積が大きいことに加え、周囲を囲む書架に納められた蔵書が吸音にも機能しているのか、静謐な図書館らしい空間が生まれていました。
市立米沢図書館・よねざわ市民ギャラリー
[竣工]2016年
[設計]山下設計
[用途]図書館、ギャラリー
[所在地]山形県米沢市中央1丁目10番6号
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米沢市を訪ねる際に調べていて気がついたのが、米沢市出身の近代建築家が意外と多いこと。市立米沢図書館・よねざわ市民ギャラリーを設計した山下設計の創始者、山下寿郎を始め、築城寺本願寺等の設計も手がけた建築家・建築史家の伊東忠太や、日本建築士会の創立者である中條精一郎も米沢市の出身です。
彼らの育った当時からはさすがに風景も変わってしまったでしょうが、そうした歴史を感じながら建築を見て回るのもまた思い出深い経験となりました。
なお、米沢駅の近辺には米沢牛を食べることができるお店が多く立地しています。東京と山形を行き来する際に途中下車し、米沢牛と建築を合わせて堪能するのがオススメです。