この記事では、岡山県倉敷市内の中でも美観地区外にある建築群を取り上げます。あまり数が多くはありませんが、これまでの記事で取り上げた建築家が設計した建築の他、有名建築家の手による作品も見ることができます。
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日本基督教団倉敷教会
(設計)西村伊作(完成)1923年
(所在地)岡山県倉敷市鶴形1丁目5-15
(参考)https://www.kurashiki-ch.or.jp
国の登録有形文化財にも登録されているキリスト教会で、木骨コンクリート造というめずらしい構造形式で建てられています。設計者である西村伊作は東京にある文化学院を創立したことで知られる教育者ですが、建築家としての顔も併せ持っており、住宅を中心に各地に作品を残しています。
この倉敷教会は、外壁に貼られた石材と様々なプロポーションの尖塔アーチ(頭が尖ったアーチ)が印象的な建物です。正面上部の大きな尖塔アーチは小さな尖頭アーチが集まってできたような窓枠形状になっていますが、間延びした意匠にならないよう配慮されたのではないでしょうか。内部の祭壇部分にも尖塔アーチの形状が用いられていますが、これは後に手を加えられた部分かもしれません。ホームページでは毎週日曜日の礼拝の様子が紹介されていますが、現在でも沢山の人に愛されて使い続けられていることが伝わってきます。
倉敷市庁舎
(設計)浦辺建築事務所(浦辺鎮太郎)(完成)1980年
(所在地)岡山県倉敷市西中新田640番地
(参考)https://www.city.kurashiki.okayama.jp/14832.htm
過去の記事で丹下健三氏の設計による旧倉敷市庁舎を取り上げましたが、こちらは現在も使われ続けている倉敷市庁舎です。倉敷市、児島市、玉島市の合併の際に新しく建築された庁舎で、浦辺鎮太郎の設計によるものです。倉敷を代表する建物ということで彼以上にふさわしい建築家はいないように思います。
同じく過去に取り上げた、倉敷市中央図書館の少し前に完成したということもあって、窓のプロポーションや窓を等間隔で並べた立面などの意匠からは同じ設計者であるということがよくわかります。赤いレンガ貼りや低層棟外観で連続するアーチなどは、倉敷アイビースクエアからの連続性が感じられます。一方で、ギリシャ様式の柱を変形したような柱など浦辺氏の他の作品にはあまり見られない特徴も用いられており、見比べてみると浦辺氏の意図に想像が膨らむ建築となっています。
児島の共同住宅
(設計)安藤忠雄(完成)1981年
日本で最も有名な建築家の一人といえる安藤忠雄氏の設計による共同住宅です。共同住宅という用語はあまり聞き慣れないかもしれませんが、一般に使われる集合住宅とほぼ同じ意味と捉えてよいかと思います。ちなみに、建築基準法の上では集合住宅という用語は定義されておらず、複数の住宅が集合した建築物は主に共同住宅という用途で取り扱われています。
現在では安藤忠雄氏の代名詞となったコンクリート打放し仕上げですが、この共同住宅もまさしくその仕上げでつくられています。安藤氏をコンクリート打放し仕上げの名手として一躍有名にした出世作、住友の長屋が日本建築学会賞を受賞したのが1979年です。おそらくは施主の期待通りの建物なのではないでしょうか。抽象的な直方体の外形に様々なプロポーションの開口が開けられ、安藤氏の造形力が存分に発揮された建物となっています。
倉敷中央病院新3棟
(設計)ユー・アール設計(完成)2012年
(所在地)岡山県倉敷市美和1-1-1
1923年に大原孫三郎によって創立された倉敷中央病院(元倉紡中央病院)の新棟です。元々は創立50周年を期に1971年に全面的な増改築の設計に着手され、第1棟が1975年に竣工してから着々と増築が進められてきました。まもなく創立90周年の時期に完成したこの新3棟を以て、全面増改築は完了となったようです。
各棟はどれも初めに完成した第1棟を尊重するかのような意匠となっており、白い外壁にオレンジ色の色彩が差し色として映える外観となっています。ただ、よく見ると各棟で差し色の入れ方に違いが見られ、一定の文法の中でどのように設計者の色を出すかの検討が感じられる建物群となっています。
岡山県倉敷市の建築のうち、美観地区外に立つ建築群は以上です。立地や用途の都合上やや訪ねにくい建物もありますが、美観地区内の建築群と関連する建物も含まれていますので、訪問することで倉敷の歴史をより深く理解することができるのではないでしょうか。
この記事に情報や事実関係に誤り等がありましたら、お手数ですが問い合わせよりご一報頂けますと幸いです。