長野|建築

軽井沢町の建築(その他)

この記事では、長野県の軽井沢町のうち、これまで紹介してきた地域からは外れた地域に建つ建築群を取り上げます。駅から歩いていくにはやや距離があるものもありますが、軽井沢駅と中軽井沢駅の中間地などには、歴史的に重要な意味をもつ建物もみることができました。

 

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旧近衛文麿別荘(市村記念館)

(設計)あめりか屋(完成)1918年

(参考)https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000931/index.html

 

元々は大正期に住宅として建てられた建物で、現在は軽井沢町所管の見学施設となっています。近衛文麿氏が別荘として購入し、後に市村今朝蔵氏、その遺族、軽井沢町へと所有権が移り、その度に移築も行われてきたようです。現在の位置に落ち着いたのは平成9年とのことで、平成28年には軽井沢町文化財にも指定されました。

建物の設計及び施工は、日本初のハウスメーカーといわれているあめりか屋が手がけています。あめりか屋の創始者である橋口信助氏は、アメリカで様々な職を経験した後に組立式のバンガロー住宅を日本に持ち帰ってきて事業を開始、たくさんの住宅を手掛けました。

この建物のように下見板張で仕上げるのはあめりか屋による住宅にみられる特徴の一つですが、白く塗られているのは、日本の民家とは異なる印象をより強めようとしたのでしょうか。建物のプロポーションも屋根が小さくやや頼りない印象を受けますが、それゆえに当時は独特なものとして人の目に映ったのかもしれません。

 

軽井沢町立離山図書館(旧軽井沢町立図書館)

(設計)三輪正弘環境造形研究所(完成)1976年

(参考)http://www.library-karuizawa.jp/hanareyama.html

 

現在は軽井沢離山図書館という名称に変わっていますが、中軽井沢駅直結のくつかけテラスに新しい図書館が完成するまでは、軽井沢町立図書館として使用されていました。設計者である三輪正弘氏は山口文象らと共にRIAを立ち上げたうちの一人ですが、十数年働いたのちに退職、個人で事務所を設立した後にこの図書館を手がけています。

建物外観は、何といっても屋根からとび出たトップライトが印象的です。軽井沢だと雪がたまるからか、下枠のない門型の筒が砲台のように突き刺さっています。赤いレンガタイルとコンクリートの対比も目を引きますが、雪が降り積もるとより詩的な風情を感じられるのではないでしょうか。

 

軽井沢町歴史民俗資料館(旧軽井沢町資料館)

(設計)三輪正弘環境造形研究所(完成)1980年

(参考)https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000930/index.html

 

先の離山図書館と同じ三輪氏の設計による、軽井沢町の文化史に関連する資料が展示された施設です。離山図書館や軽井沢現代美術館、市村記念館などが集まったエリアに建っています。

細かく目地割された杉板型枠コンクリートによる荒々しい外観の建物で、一見、図書館と同じ設計者だとは思えないような印象を受けますが、正面からは見えにくい裏側に赤いレンガタイルが用いられているなど、よく見ると図書館とのつながりを感じさせる仕掛けが随所に感じられました。

 

オナーズヒル軽井沢クラブハウス

(設計)谷内田章男/ワークショップ(完成)2002年4月

 

軽井沢の中でも別荘が多く建つエリアにある施設です。クラブハウスと聞いてゴルフ場の附属施設なのかと思っていましたが、実際には温浴施設などを有する宿泊施設で、実際に2021年現在では軽井沢天空ホテル&リゾートという名称に変わっていました。

一見、勾配がついた金属屋根の建物ですが、内部には小さなコンクリートの箱が並んでおり、構造上はそれらが大部分を担っているようです。屋根とコンクリートの箱とは繊細なトラスでのみ緊結されており、屋根頂部のトップライトからの自然光がほとんど遮られることなく室内に降り注いでいます。代わりに勾配屋根の端部を低く抑えることで、パノラマ状に切り取られた軽井沢の風景を体験することができます。

 

ドメイヌ・ドゥ・ミクニ(旧飯箸邸)

(設計)坂倉準三(原設計)坂倉アトリエ(監修・設計)旧飯箸邸記録と保存の会(監修(再生))

(完成)2007年7月(再生)、1941年(当初竣工)

(参考)http://domaine-de-mikuni.com/

 

元は東京都世田谷区に住宅として建てられたものでしたが、土地売却に伴い解体が決まった際、旧飯箸邸記録と保存の会の働きかけにより軽井沢への移築となったようです。現在は著名なシェフがオーナーとなり、彼のプロデュースによるフレンチレストランとなっています。2005年にはDOCOMOMOJAPANにも選定されています。

移築前の姿は見たことがないのですが、各種資料によれば、軽井沢の気候に合わせてある程度の仕様改変はあったものの、比較的当初の姿に近い形での移築が実現したようです。建具についても既存のものを修復して使用されているようですが、庭に対して開く3メートル弱の開き窓は迫力があります。引違窓などではなく開き窓にしたのは、屋内をより屋外に対して開放的にするためだったのでしょうか。

 

インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢:ISAK

(設計)鈴木エドワード建築設計事務所(完成)2014年6月

(参考)https://uwcisak.jp/jp/

 

浅間山の麓に建つインターナショナルスクールで、2014年に開校されました。その後2017年に国際的なNPO教育機関であるUWCに加盟、現在はユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパンとして運営されています。UWCの運用資金は主に企業や個人からの寄付によるものだそうですが、この学校の創立時にも企業経営者の寄付や協力によるものがあったようです。

建物としては、地上2階建ての校舎や体育館、寮がある程度の離隔をとって建てられています。傾斜地に対して大幅な造成等を行うことなく建てられたこともあり、スキップフロアなども多用した立体的な空間となっています。教室数は一般の学校に比べてかなり絞られていますが、寮の共用スペースなども教室として活用することで学校としての機能を果たしているようです。発表されたテキストによれば住宅用の建材も多用されているとのことで、実際、いわゆる学校というよりはドミトリーに近い空間に感じました。

 

ISAK Kamiyama Academic Center + Residence 4

(設計)小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt(完成)2016年7月

(参考)https://uwcisak.jp/jp/

 

先のインターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢のキャンパス拡張計画で、教室の他、図書室機能、管理運営機能をもつ建物として新築されました。設計は学校建築の大家ともいえる、CAtが手がけています。

外観は黒のガルバリウム鋼板で仕上げられており、一見鈴木エドワード氏による校舎棟などと似たような印象を受けますが、建物の形状にも現れている通り、平面計画にはCAtが過去に設計を手がけた学校での経験が存分に取り入れられています。教室の周囲の壁をL型で押えず、建具を開け放つと周囲と連続した空間のように扱える平面形状などは、立川市立第一小学校の派生系といってよいのではないでしょうか。多角形の教室など、一般的な公立学校ではなかなか受け入れられにくい計画が実現しているのは、挑戦的な校風をもつ学校ならではと言えるかもしれません。

 

今回取り上げた長野県北佐久郡軽井沢町の建築(その他)は以上となります。情報や事実関係に誤り等ありましたら、お手数ですが問い合わせよりご一報頂けますと幸いです。