長野|建築

軽井沢町の建築(ヴォーリズ建築編)

この記事では、長野県の軽井沢町に建つW.M.ヴォーリズの設計による建築群を取り上げます。

ヴォーリズは1905年(明治38年)に英語教師として来日し、1907年(明治40年)頃から建築の設計活動をほぼ独学で開始したことが知られています。彼は近江八幡を拠点として開始した設計活動の初期から軽井沢での活動も並行して行なっており、彼の設計による建築群は現在でも軽井沢の各所で目にすることができます。

 

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軽井沢ユニオンチャーチ

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1918年

(参考)http://karuizawa-ginza.org/shop/karuizawa_union_church/

 

当初から現在に至るまで用途が変わることなく使われ続けているキリスト教会です。軽井沢に現存する中では最古のヴォーリズ建築ではないかと思います。当初は外国出身の方の利用が大半だったとのことで、現在でも夏には多くの方が外国から訪れているようです。その他、日本語学校としても使われているとのことでした。

建物としては構造、仕上共にほぼ全てが木でつくられており、特に屋根を支える木架構は迫力があります。また外観からは気が付きませんでしたが、前後左右に伸びる屋根の尾根が祭壇の手前あたりで交差しており、ちょうど十字架のような平面形状となっています。一見山小屋のようにも見えますが、教会であることを意識して設計されていることを感じることができました。

 

亜武巣山荘(青葉幼稚園山荘、アームストロング山荘)

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1919年~1926年

 

宣教師アームストロング氏が別荘として使用していた建物で、2014年には登録有形文化財に指定されました。現在は彼女が設立したアームストロング青葉幼稚園が所有、管理しています。2013年まで約40年間使われておらず、かなり傷んでいたようですが、軽井沢の歴史遺産の保全に取り組んでいる軽井沢ナショナルトラストが所有者であるアームストロング青葉幼稚園に働きかけ、修繕、利用再開へと至ったようです。

建物はかなり急勾配の傾斜地に建てられており、方向によって2階建てにも3階建てにも見えるようになっています(建築基準法上は地上2階地下1階という取り扱いのようです)。当時としてはかなりアクロバティックな建て方をしているのではないでしょうか。丸太のまま用いられた梁や茶色の外観に白い窓枠、内装の全面木仕上げなど、他のヴォーリズ建築にもみられる特徴が随所にみられますが、背面に崖地を背負っているせいかフットプリントもコンパクトになっており、他のヴォーリズ建築以上にあたたかみのある空間だと感じました。

 

軽井沢集会堂

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1922年

 

軽井沢に別荘をもつ有志の自治組織、軽井沢会が管理している施設で、過去には講演会や音楽会、展覧会などが行われ、現在も使用されているようです。いまでいうコミュニティセンターのようなものでしょうか。

軽井沢会の前身は1913年に結成された軽井沢避暑団で、この集会堂の設計者であるヴォーリズはこの組織体の関連施設を他にも多数手がけています。時期的に軽井沢会(軽井沢避暑団)とヴォーリズの関係性が始まった施設だと思われ、そう考えると彼の歴史を語る上では重要な建物なのではないでしょうか。

現在建っているのは1994年に改築されたもので、その際には原型のデザインを残しつつ、当初よりもひとまわり大きくつくりなおされたようです。現在の建物が当初からどの程度変更になっているのかわかりませんが、正面のやや弧を描いた屋根庇が印象的です。

 

浮田山荘(ヴォーリズ山荘、九尺二間の家)

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1922年

 

現在浮田家の所有となっているこの別荘は、元々ヴォーリズが自身のために設計、建設したものでした。ヴォーリズは毎年夏になると拠点を軽井沢に移して設計業務を行なっていたことが知られていますが、その際に滞在していたようです。後年は彼の母もこの別荘で過ごしていたと言われています。

建物は九尺二間の家とヴォーリズ自身が名付けただけあって、かなりコンパクトなつくりになっています。縦桟でおさえられた下見板張の外壁や赤い屋根、桟が白く塗られた窓などは他のヴォーリズ建築にもよくみられる特徴ですが、ガラリ形状の雨戸がつけられているせいか、それらよりもやや日本家屋に近い印象を受けました。

 

日本基督教団軽井沢教会

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1929年

(参考)https://church.ne.jp/karuizawa/

 

プロテスタント教派の合同教会として建てられ、現在も軽井沢駅北の商店街の中で使い続けられている教会です。軽井沢に日本人のための合同基督教会が設立されたのは1905年とのことなので、元々は別の建物が教会として使われていたのかもしれません。ちなみに、ヴォーリズ設計事務所の夏期出張所はこの建物の隣にあったようです。

建物はこれまでのヴォーリズ建築と大きく印象が異なり、真壁造のように木柱が並んだ間を白い左官で仕上げたような外観です。この教会以降の作品では下見板の外壁が再登場していることから、おそらくは教会という用途を考慮して、他の山荘等と異なる外観としたのではないでしょうか。アルミサッシや内装など各所に手が入れられており、当初の姿をどの程度残しているか定かではありませんが、永い間親しまれ、使われ続けていることを実感することができます。

 

軽井沢会テニスコート・クラブハウス

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1930年(当初竣工)、1995年(改築)

 

軽井沢会のテニスコート用に建てられたクラブハウスです。このテニスコートは平成天皇が出会った場所として有名になったようですが、当初から徐々にテニスコートの数が増設されており、それに伴いこのクラブハウスも一部増築がなされているようです。なお、完全会員制のため一般の方は建物に近づくことはできません。

建物の外観は全体的に木の板を割付けつつ、一部は木柱や斜材が見える真壁づくりのような意匠となっています。上述の山荘建築と日本基督教団軽井沢教会が組み合わさったような意匠と言えるかもしれません。木の板が割付けられた部分は遠方から眺めると下見板のようにも見えますが、よく見ると凹凸を残した木の板を隙間なく敷き詰めて仕上げられていることがわかります。下見板の外壁と同じように陰影が強く出つつも、木の板の形状がひとつひとつ異なることでより柔らかい印象を感じることができます。

 

睡鳩荘(旧朝吹山荘)

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1931年

(参考)http://www.karuizawataliesin.com/look/suikyusou

 

元は朝吹常吉の別荘として軽井沢の奥地に建てられたものでしたが、2008年に塩沢湖畔に移築、現在は軽井沢タリアセンの一部として多種多様な展覧会が開催されています。ちなみに朝吹常吉氏は三越等の社長も務めた実業家で、小説家の朝吹真理子は彼の曾孫にあたるようです。東京都高輪には彼の過ごした本邸がありますが、そちらもこの建物に先駆けた1925年にヴォーリズの設計により完成しています。

外壁には上述のテニスコート・クラブハウスのように凹凸のある木の板が、建具には他のヴォーリズ設計の山荘に見られる白く塗られた意匠が採用されていますが、建具と同じく白く塗られたバルコニーがあることでよりさわやかな印象を感じられます。移築の際にもある程度手が加えられているかとは思いますが、瓦屋根や調度品のような手摺など、全体的に他のヴォーリズ建築よりも高級感を感じる設えとなっています。

 

片岡山荘(旧鈴木歯科診療所)

(設計)W.M.ヴォーリズ(完成)1936年

 

現在は片岡家の住まいとして使われ続けている建物ですが、元は別荘兼歯科診療所として設計、建てられたものでした。上述の日本基督教団軽井沢教会がある軽井沢駅北の商店街のすぐ近くに建っています。2008年には登録有形文化財にも指定されました。

ベンガラ色の外壁に白い窓枠が映える外観からは先の睡鳩荘ともよく似た印象を受けますが、こちらはバルコニー等がないことでよりミニマルな意匠となっています。また、下見板の外壁の一部に外壁材が斜めに割り付けられていたりと、随所に遊び心も感じられます。道路からはほとんど見ることができませんが、出窓のように飛び出したサンルームも設けられているようで、現在の歯科診療所では見ることができない豊かな空間を感じることができます。

 

軽井沢町の建築(ヴォーリズ建築編)は以上となります。情報や事実関係に誤り等ありましたら、お手数ですが問い合わせよりご一報頂けますと幸いです。