大阪|建築

藤田美術館|100年の歴史を受け継ぐ蔵の美術館

大阪城公園の北側、大川に面して広がる旧藤田邸跡公園。大阪市の名勝にも指定されたこの公園に面して藤田美術館は建っています。

この土地は元々、明治時代に活躍した実業家である藤田傳三郎氏の邸宅のあった場所だそう。元々美術愛好家であった藤田氏が、明治維新を機に文化財が海外に流れることに危機感を覚えたことをきっかけに、藤田家の蔵を改装する形で1954年に美術館として開館したようです。

そこから60年以上、その蔵を活用する形で運営されていた美術館が、2022年に建て替え、リニューアルオープン。SOMPO美術館等の設計を手掛けた大成建設一級建築士事務所の設計ということもあって、見学に訪ねてきました。

屋内外をつなぐ土間エントランス

藤田美術館の外観。薄く繊細な庇が大きく張り出す

JR東西線の大阪城北詰駅のすぐ近く、十字路に面して建っている藤田美術館。二階建ての小さな建物ながらも、大きく張り出した薄く繊細な庇が目を惹きます。

南側道路からの外観。柱も細くガラス奥にも開放感がある

外観を覆う全面ガラスの奥に見える柱も非常に細く、繊細かつ軽やかな印象。ガラス張りの奥には一切の窓のない建屋が配置されていることもあって、その手前の空間はまるで屋外であるかのような開放感を生んでいました。

正面出入口。風除室はなく、床材も屋内外揃えられている

美術館という用途の出入口では設けることが一般的な風除室も、正面出入口には設置なし。正面出入口をくぐった先、エントランスロビーと外構の床が同じ材料で仕上げられていることもあって、屋内外がより一体的に感じられました。

屋内外で使用されている土系の仕上げ材。和を感じさせる要素が随所に

床に用いられているのは、屋内でも屋外でも使用することができる土系の土間仕上げ材。正面出入口から展示室の出入口まではあえて整列させずに敷石が敷かれていて、どこか和を感じさせる設えが随所に採用されていたのが印象的でした。

 

約100年の歴史を有する蔵からの再利用

エントランスロビー正面の展示室出入口。周囲のレリーフと合わせ元の建物から再利用されているよう

エントランスロビーの中央に位置する展示室出入口に使われているのは、蔵を思わせる厳かな扉。一目で年代物とわかるこの扉と周囲のレリーフは、建て替え前の美術館で使用されていたものが再利用されているそうです。

冒頭で触れた通り、建て替え前の美術館は元々藤田家の蔵として使われていたもの*1。建てられたのは明治から大正時代にかけての時期だそうで、美術館として使われる前から数えると、およそ100年程度の歴史を有していることになります。

*1:藤田美術館HPより。(URL)https://fujita-museum.or.jp/about/

1945年の大阪大空襲の際にも、邸宅の他の部分が焼失してしまった中、鉄筋コンクリート造で建てられていた蔵は延焼を免れたそう。そうした背景を踏まえると、建て替えの際にも元の建屋を部分的にでも再利用しようとするのは、しごく自然なことかもしれません。

エントランスロビー。白を基調とした現代美術館らしい仕上げの中で再利用された要素がアクセントに

全体として白を基調にまとめられたこの美術館において、元の建物から再利用された部位がアクセントとして機能。現代建築らしくつくられた新築部分との対比により、再利用された部位それ自体が美術品の一つのように感じられました。

左:エントランスロビー内に設けられたあみじま茶屋/右:屋外にはベンチとしても使えそうな設えも

なお、エントランスロビーにはミュージアムカフェのような茶店、「あみじま茶屋」も有り。展覧会の受付を展示室出入口で行っていたことからも、入館料を払わずとも、茶店単独での利用も可能なのかもしれません。

カウンターのすぐ側には屋外出入口も設けられていて、美術館の近くを訪れた人も気軽に立ち寄りやすい計画がとられていました。

 

重要文化財を守る二重壁の展示室

展示室。エントランスロビーとの間に前室を挟むのは空気環境の調整のためか

蔵扉をくぐった先は、2つの前室を経由して展示室へ。屋外からの出入口とエントランスロビーの間に風除室を設けない代わりに、展示室に前室を設けることで空気環境を調整しているのかもしれません。

前室と展示室の間の扉もまた、建て替え前の展示室から再利用した木材が使われているそう。

展示室。天井のルーバーにより雑然としがちな諸設備が自然と馴染んで感じられた

開放的なエントランスロビーから一転、展示室内は黒を基調とした落ち着きある展示空間。天井のルーバーに用いられている木材も建て替え前の建物から再利用されているそうですが、寸法や色味にムラのある材が並べられていることで、雑然としがちな天井の諸設備が自然と馴染んで見えたのが印象的でした。

展示の様子

展示室内には一切の窓が設けられていませんが、これは展示室が屋外の気候の影響を受けないよう配慮されたものだそう。展示室の周囲には前室やバックヤード、ダクトスペース等を配置することで、空気の緩衝帯を設けているようです。

展示室の先には資料展示等のある小さな室が設けられていて、美術館の周囲にひろがる公園との緩衝帯に。

展示室奥の小さな室。資料展示などが行われていた

建物全体としては開放的にしながらも、美術作品の展示、保管のための室は屋外からの影響を抑えて空気環境を守る。美術館に求められる機能に応じた安心感のある設計のように感じました。

展示室奥の室に設けられていた鎧戸付の窓。これも元の建物からの再利用だそう

なお、展示室の奥の小室にも建て替え前の蔵から再利用された鎧戸が用いられていますが、他の扉と違うのはそこから屋外の風景が眺められること。約100年の歴史を有しながらも、これまでとは全く異なる環境に設置された鎧戸を通して戸外の風景を眺める体験は、現代美術のインスタレーションを体験しているような感覚を覚えました。

 

藤田邸跡公園との境のないひとつながりの庭園

展示動線を進む中で経由する半屋外の回廊。公園と一体的に感じられる開放的な設え

鎧戸のある小室には屋外への風除室が設けられていて、展示動線を進む中で自然と屋外を経由する計画。外へ出た先にはたくさんの緑に覆われた庭園が広がっていて、それに面する回廊には屋根こそ設けられているものの、隣接する公園と一体的に感じられる開放的な設えがとられていました。

回廊。建て替えを期に公園との境はすべて取り払われたそう

驚くべきは、美術館の敷地と公園の敷地の間に、一切の柵が設けられていないこと。建て替え前には敷地境界線にあたる位置に塀が設けられていたそうですが、建て替えを契機にそれを解体、一体的な景観に感じられるよう整備されたようです。

公園は元々藤田家邸宅の土地だったとはいえ、現在は大阪市が所有。塀を取り払う判断はお互いにとって思い切りの要るものだったのではないでしょうか。

回廊のすぐ隣に設けられた茶室。元建物の部材を再利用し建て替えられたそう

美術館側の庭園の一角に配置された茶室は、建て替え前の美術館の庭にあったものの部材を再利用し建て替えられたものだそうですが、公園との間の囲障が取り払われたこともあって周囲にゆとりが感じられる佇まい。公園側から美術館を眺める景観も損なわれることなく、双方にとって居心地の良い場が生まれているように感じました。

元々は公園まで含めて藤田家の邸宅であった歴史を改めて思い返すと、境をなくしたことも一つの復元的整備といってよいのかもしれません。

 

一見、現代美術館らしい佇まいでありながらも、よく見ると歴史の影が垣間見える藤田美術館。公園に対して開放的に設えた美術館は、2004年に開館した金沢21世紀美術館以降にぐんと増えた気がしますが、藤田美術館ではそこに約100年の歴史を取り込むことで独自の空間が生まれているように感じました。

長い歴史を有する建物は、どうしてもそのままの形で残すことばかりを考えがち。そうではなく、この美術館のように部材を再利用することで新しい姿として再生させる方法もあるのだと、可能性を感じられた体験でした。

 

藤田美術館
[竣工]2022年
[設計]大成建設一級建築士事務所関西支店
[用途]美術館
[住所]大阪府大阪市都島区網島町10-32
[HP]https://fujita-museum.or.jp/