群馬県の山奥、山間に建つ富弘美術館。水彩で描かれた花々と詩が印象的な画家・詩人、星野富弘さんの作品を収蔵する美術館です。
2005年に建て替えられた新館は、近年では釜石市民ホール等の設計も手掛けているヨコミゾマコトさんの設計。アクセスはややしにくい土地にあるものの、日本建築学会作品賞等も受賞したヨコミゾさんの代表作もいうこともあって、訪ねてきました。
木々に覆われた山間に建つ正方形の箱
富弘美術館の建主である群馬県みどり市は、その名の通り大部分が緑の山々に覆われた市。富弘美術館はその中でも特に山奥に立地していて、渡瀬川流域にある草木湖のすぐそばに位置しています。
展示作家である星野富弘さんは元々群馬県出身、この辺りの生まれだそう*1。当時は勢多郡東村だったようですが、2006年にこの東村を含む3つの村が合併、現在のみどり市に。美術館としては1991年に開館、新館の竣工も2005年なので、元々は東村立の美術館として建てられたようです。
*1:群馬県みどり市WEBサイトより。(URL:https://www.city.midori.gunma.jp/tomihiro/1004717/1003446.html)
最寄の神戸駅からは、バスで10分ほどの立地。美術館の周囲や道路向かいには広く駐車場が設けられていて、地方ならではの車社会を実感させられる光景が広がっていました。
土地が広々としていることもあって、面積としては小さくないながらも1階建の低層美術館。建物の外形もシンプルな正方形をしていて、迫力ある山々の景色の中にポツンと建つ佇まいが印象に残りました。
円の連なる屋根意匠と多様な外装材
人の目線からみると、一見シンプルな箱に見える富弘美術館。上から見下ろすと、たくさんの円形が集まったような独特の外観をしていることがわかります。
設計者であるヨコミゾさん曰く、たくさんの円が集合した計画はシャボン玉のイメージからきているそう*2。航空写真で見たときに一目でそれとわかる屋根の意匠は、誰もがGoogle mapで検索する現代を先取りしているように感じました。
*2:『ディテール 2005年10月号』(彰国社発行,2005)より。
美術館に近づいてみると、実は外装材でもこの構成を表現。ガラスや鉄板、ステンレスなど、円に合わせて素材が切り替えられていて、建物内にも多様な空間が広がっているであろうことが想像させられます。
ガラスにはセラミックプリントで模様が施されていたり、鉄板にはグラデーション状に穴を開けられ、空調に使われていたり。ひとつひとつの素材も他の建築ではあまり見たことがないようなディテール、加工がなされていて、円筒の集合した構成をやり切ろうとする強い意志を感じました。
円と円をつなぐ繊細な境界
美術館のエントランスは、半円形にくり抜かれたアルコーブ状の空間。曲面を描く周囲の壁にはたくさんの丸窓が開けられていて、屋内の様子であったり芝生であったり、壁の向こう側を垣間見ることができる設えになっています。
館内に入るとこの丸窓の役割は一変、館内を照らすあかり取りに。白御影石で仕上げられたエントランスホールの床に自然光が反射していて、丸窓の印象がより高まって感じられました。
富弘美術館の意匠はシャボン玉がイメージされていることを先に書きましたが、こういった部分的な意匠からも、そのイメージが伝わってくる設え。
エントランスホールの奥、ロビーを中心に据えた内部空間は、外観でみた形そのままに円筒形の室がつながっていく構成。室同士の境界には基本的に扉は設けられておらず、一度屋内に入ってしまえば館内を一望することができます。
円と円の境界をつくる壁はとても薄く、部屋同士は分かれていながら同時につながっているような、不思議な距離感。屋内からはほとんど感じることはできませんが、外壁も大部分が86mmという圧倒的な薄さでつくられているようです。
実際の空間としては広々としていながらも、同時に親しみあるコンパクトなスケール感は、この繊細な境界のつくりかたから生まれているのかもしれません。
円筒形のスチールによる薄い鉄骨造
ロビーを始めとする大空間含め、内部空間には一切の柱が見当たらず。各種の誌面によると、円筒形を構成している曲面の壁の一部をスチールで構成、構造の役割を担わせることで全体の構造を成立させているそうです*3。
構造を担っているとはいえ、壁それ自体が薄くつくられていることは先の通り。加えて、屋根についても防水や梁を含めて200mmという寸法でつくられていて、徹底されたものを感じます。
*3:『新建築 2004年8月号』(株式会社新建築社発行,2004)より。
円の直径は最大で16m、鉄骨造の梁せいは柱間の1/20が基本と言われているので、通常の鉄骨梁でつくろうとするとそれだけで800mm。これにコンクリート等を加えると1m前後はゆうに必要になることからも、200mmで成立させていることのすごさがわかります。
外から見たときのプロポーションには影響するものの、屋根の薄さは天井の張られた屋内空間からは隠されてしまうもの。そうした見えないところまでとにかく薄くつくろうとする、執念のようなものを感じました。
ちなみに構造設計はロンドンに本社を置くアラップ社、主担当は現在では東京芸大の教授をされている金田充弘さん。ヨコミゾさんは直近作含め、その作品のほとんどで金田さんと協働されています。
星野富弘さんの作品だからこそ実現した曲面の壁
富弘美術館の大部分をかたちづくっている曲面壁は、展示物に対する制限を生むことから一般的な美術館ではあまり見かけない要素。ヨコミゾさんによれば、星野富弘さんの作品は小さなサイズのものが多いことから、展示の上でも問題ないということでこの形式を採用したそうです*4。
*4:『新建築 2005年4月号』(株式会社新建築社発行,2005)より。
展示の様子を実際に目にすると、確かに全く問題ない様子。むしろ、曲面の壁であることで隣の作品が実際よりも近く感じ、あたたかみのある星野さんの作品に似合った展示空間のようにも思えます。
曲面の展示壁は、アメリカのグッゲンハイム美術館等でも見られますが、この美術館ほど半径の小さい曲面壁は稀有。星野富弘さんの作品の展示に限定されることで実現したと考えれば、この美術館だからこそ実現した形式と言えるのかもしれません。
ちなみに、作品の展示に本当に支障がないかは、設計時にモックアップもつくってしっかりと確認されたそうです。
もうひとつの世界のような、色彩に富んだ内部空間
展示室を始めとする諸室では、壁や天井に各室で異なる仕上げが施され、バリエーションに富んだ空間が展開。
例えば、富弘美術館の模型が置かれた「うみのへや」は、壁全体が真っ青で凹凸のある吹付材で仕上げられた空間。明るさも絞られ、その名の通り夜の海のような静けさを感じる設えがなされていました。
一方、売店の奥に位置しているミュージアムカフェは、外壁面がすべてガラスで覆われた明るい空間。ガラス自体も内側には葉脈が埋め込まれている等特殊な材料が使われていて、あちこちに実験的な試みがみられます。
中には何に使うのかよくわからないような部屋もありながら、どの部屋も自ら主張する癖の強い空間ばかり。木々に囲まれた山奥にもう一つの世界が広がっているようで、この美術館自体が様々な色彩に富んだひとつの立体美術のように感じられました。
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この富弘美術館の設計者を決めるにあたっては、建築家の伊東豊雄さんを審査委員長として「住民参加型設計競技」という手法で行われたそうです。インターネットで提案を募ることで世界各国から1211件もの作品が提出された*5とのことで、当時相当に注目を浴びたことが容易に想像されます。
*5:『富弘美術館コンセプト&ガイド 発想の展開』(東村・富弘美術館建設検討委員会編著,鹿島出版会発行,2005)より。設計協議の経緯から構造や設備といった技術的な事柄までこの一冊にまとめられている
ヨコミゾマコトさんがこの建築で日本建築学会作品賞を受賞されたことを冒頭に書きましたが、こういった建てるまでのプロセスにおいても一つの歴史に残る美術館と言えるのかもしれません。
富弘美術館
[竣工]2005年
[設計]aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所
[用途]美術館
[住所]群馬県勢多郡東村大字草木86-1
[HP]https://www.city.midori.gunma.jp/tomihiro/